もし、あの時ああしていたら─────。
と思うことは誰しも一度はあることです。その後悔の対象が、どんな些細なことであろうとも。
で、私は大きな分かれ道にぶつかる度に、ある一つのことについて考えます。
『もし、あの時、あっちを選んでいたらどうなっていたのだろう』
と。
小さい頃に一度、大きな分かれ道にぶつかりました。もしもあの時、違うほうを選んでいたなら、今此処に私はいなくて、今いる友達も別人で、小説も書いていなかったかもしれません。
それほど重要な二択だったのです。二択というとみみっちく感じますが。
どっちが幸せなのだろう。
人は悩むとき、自他の幸福や利益と秤にかけます。
そして、よりよい方法や道を選ぶのです。
ですが、未来のことはわかりません。子どもならば尚更の事。今、自分の中で嫌だな、と思うことを遠ざけてしまいます。………まぁ私はですがね。
拙い頭で必死に出した結論に間違いがあるとは思いません。間違い自体、無いこともありますけどね。
だから余計に私は思うのです。私じゃない、もう一つの道を選んだ“私”と此処にいる私、どちらのほうが幸せなのだろうと。
もしも、と今更どうしようもないことを思ってしまうのです。
とある小説で誰かが言っていたのですが、『もしも私が此処にいなくても、誰かが今の私と同じ人生を歩む。』という考え方に納得しました。その言葉を言った人の人生はあまりに空白で、自分以外の誰かにこんな空っぽな人生を歩んで欲しくもないとも言っていた気がします。
なので私は勉強しなければなりません。今の積み重ねは“過去”になり、そして“未来”にも繋がってしまうからです。空白な人生を送らない為にも、勉強しなければ…………。
社会以外やる気が起きません。どうしよう。
時間を自由に操れたら、私は未来なんかどうでもいい。過去へ行く。
と小説読んで思ったのですよ。
『彼女は未来が欲しいと言った。彼は過去が知りたいと思った。』
誰か知ってます?
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